レインウォッチャー

肉体の門のレインウォッチャーのレビュー・感想・評価

肉体の門(1988年製作の映画)
4.0
舞台は戦後間もない瓦礫と闇市、主役は当時パンパンと呼ばれた街娼たち…しかしこりゃあお前さん、完全にヤンキー漫画のノリである。

グループ抗争に喧嘩と友情、プライドにロマンス、そして夢。
浅田せんこと関東小政(かたせ梨乃)を始めとする美しく逞しいビッチの面々には個性的すぎるコードネームがついてたりして(ボルネオマヤとかビッグママとか※1)、もちろんガツガツ脱ぐし、果てはダンスまで。もはや『HiGH&LOW』side Wじゃあねーか。

舞台の如きタメにタメた台詞まわしが浮かずに映えるマンキンのやり切り具合。アホでえっちで楽しい場面が目白押し(※2)ではあるけれど、思いのほか戦争と敗戦という背景の爪痕は深い。ギブミーチョコレートと犬鍋の時代、更地のようになって米軍の占領下にある日本。しかし既に表では『東京ブギウギ』が陽気に流れ、裏では血気盛んなやくざ者たちが蠢き、またもや奪う者と奪われる者の明暗が分かれんとしている。

自分たちの居場所であり、将来の《パラダイス》と決めた廃ビルを横取りしようとする男たちに対して、せんたちは「勝手に戦争して勝手に敗けた、お前ら男たちのせいだろ」と啖呵を切る。そう、彼女らは戦前も戦後も、そして現代でも、ずっと尊厳のために戦ってきた。尊厳とはつまり、自分たちの人生を自らコントロールできていると信じられる感覚のことだ。

今作に限らず多くの五社英雄監督の映画では、戦争に代表される暴力とは美化されがちだった《男らしさ》の負の極地にあることを見抜き、いかにも格好よく生きようとするが虚しさに捕らえられる男、そんな男に振り回されつつ静かな戦いを続ける女、それぞれの姿を介して伝えている。セクシュアルな題材/場面の多さから男性的な視点が特徴として目立ちがちかもしれないけれど、実は公正なフェミニズム精神を持った作家ではないかと思う。

性を商売にして生き抜き、米軍が落とした不発弾を廃ビルの守り神がわりに祀るせんたちは、敵の力を利用して戦うアンチヒーローのようでもある。柔よく剛を制す、とでも言おうか、男たちにはできなかった戦いが此処には確かにあったのだ。
その結果は、夢見た大輪の花を咲かせるに至らなかったかもしれないけれど…映画の冒頭と末尾に映される現代の高層ビル群が、良きことも悪しきこともすべては今に繋がっていて、誰もが無関係でないことを思い出させる。

終盤のたっぷりとした哀愁はもはや演歌の域。喜劇に悲劇、エロに爆発と、映画の持てるあらゆる《欲》を過剰なほどに充たしてくれるような作品でありながら、これは現代まで歌い継がれるに足る魂のブルースだったのだ。

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※1:わたしの一推しはライバルチームの血桜お銀(松居一代)。紫の着物に解いた長髪がかっこよすぎる。

※2:列挙しだすとキリがないので具体的にはあまり言及できなかった。ていうか、どう書いてもマトモに義務教育を受けて育った方にはとても信じてもらえない気がするのだ。

・花で飾った廃バスをアジトにしているオードリー風ファッションの女番長がいて、そいつはやがてジャズピアノを弾く

とか、

・ある夜に突然牛を一頭連れてきたと思ったらみんなでサバいて食べて、気づけば渡瀬恒彦には電飾が巻かれている

とか、意味わからないでしょう。ボーボボじゃあねーんだから。わたしだってそうである。だが本当にこんな場面(ほんの一部だ)があったし、輪をかけて厄介なことに、どれも最高だったのである。