【もうひとつの始まりとコヴェナント(神との契約)/絶望への扉/エイリアン祭②】
※最新作「ロムルス」公開前に、映画「エイリアン・シリーズ」をふたつの前日譚から長い物語を時系列に観返した。
リドリー・スコットから始まった映画エイリアン・シリーズだが、4まで続編は他の監督が撮り、ぐるっと回るようにして2つの前日譚とされる作品はリドリー・スコットが再び指揮を取ることになった。
「エイリアン・コヴェナント」は「プロメテウス」の続編にして、直接的に「エイリアン」の前日譚となる作品だ。
そして、序盤のアンドロイド・デイヴィッドと、そのデイヴィッドを創造したウェイランドとの会話は、「プロメテウス」を思い返させ、更に、この「コヴェナント」の物語が不穏な方向に向かうことを示唆する重要な場面となる。
デイヴィッドを創造した人間(ウェイランド)はいずれ死に、デイヴィッドは残る。
創造者と被創造者の立場は、神と人間の立場とは逆になったのだ。
旧約聖書で、ダビデ(デイヴィッド)は羊飼いから身を起こして、仕えたイスラエル王サウルが死ぬと、イスラエルの王として君臨することになる。
この物語の重要な暗示だ。
このコヴェナント号が立ち寄った星で何があったのか。
そして、デイヴィッドの”目的”が明らかになる。また、このコヴェナントが持つ意味も。
神になろうとした人間(ウェイランド)とアンドロイドのデイヴィッド(ダビデ)との契約は、デイヴィッドが不死だと自覚した時から意味をなさなくなっていたのではないのか。
そして、コヴェナントとは、ウェイランドとデイヴィッドの間の「プロメテウス」で描かれたものではなく、デイヴィッドが自らの運命をダビデと重ねた時に自らに課したものなのではないのか。
更に、正体の全貌が明らかになるエイリアンとは、いわゆる”異星生命体のエイリアン”というより、業(ごう)深き人類の際限のない欲望が作り出した人類から派生したもの(業(ごう))のメタファーとしての存在なのではないのか。
それは同時に人間を滅ぼすのは人間自身なのだと暗示しているかのようだ。
「プロメテウス」と合わせて改めて観てみて暗示的で面白い作品だと思う。
デイヴィッドと対峙しようとするウォルターもマイケル・ファスビンダーが演じ、明らかにこの2つの「エイリアン」前日譚を牽引する存在だ。