久々の映画鑑賞。或る理由からこの様な作品をチョイス。
主人公役の少年の体当たり演技に胸の内で"凄いよ"とか"頑張れ"とか拍手しながら、家族と静かに観た。
少年が過酷な状況からなくなく脱出し、世間を彷徨う物語は多々あるがー
一昨年だかに観た"異端の鳥"は凄かった。
それを表現という意味で最右翼だとしたならば、本作は左翼的な演出。幼い子供と一緒にも鑑賞可能。
作品内では、きっと制作国では芸達者の位置に居るだろう役者達が、随所で主人公に関わっていたのだと思う。
個人的には悲しい別れとなったワン公の演技力に感心しきり。少年の泣き方があまりに上手くて思わずもらい泣きしてしまった。
終盤、(少女との出逢いに依り世話になっていた鍛冶屋から、終戦後に施設収容の為に連れ出される密告をした)隣の教授風の痩せた爺さん役が、かなり惜しいと感じた。
何故なら彼が言う台詞内容が、(彼の背景や住民との関わりが描かれ無さ過ぎだから)我々観ている側には上手く伝わりにくいから。
この台詞辺りは、物語に重層さをもたらしたであろうかなり重要なポイントであったと思うのに…
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少年は、生き抜く為の労働中に、疲れた馬に餌をやろうとする"優しさ"から、人生が変わる程の大怪我を負う。爆撃や暴力による怪我ではなく。
きっと彼は彷徨う間ずっと、ずっと腹をすかしていたのだろう。
だから働かされ続ける馬にもあの"優しさ"が出てしまったのだろう。
だけど彼は他人の"優しさ"に依って生き延びてゆく訳でもある。
そうなんだよね…
"優しさ"とは時に、甘さというか、或る"危うさ"をも併せ持つ事がありはしないか…
コレ私達一人一人の人生に於いても、社会や人間関係に於いても、必ず有り得る"線引き困難ポイント"であったりする。
"優しさ"なんてコトバは美しくとも、相手にとって無条件に効果が絶大なんてケースは、なかなか"望んで成せる"ものでも無い。
自らがしてあげたい事より、相手がして欲しい事を条件抜きで行ってあげる事だけが"優しさ"なのではないし。
何もしなかったり、何も言わないで"見守る"だけが、或いは当時は冷たい仕打ちとしか考えられない行為でも、後々長い目でみた場合には相手の為に成っていた"優しさ"であったケースってのもたしかに在る。
コトバにすると甘ったるいけれど、"優しさ"って実に難しいと思う。
その辺り、前述の密告教授風の彼の場面をもう少し工夫したならば、本作はもっと考えさせられる深みを帯びた作品に成り得た可能性を感じるのだった。
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本作の脚本や演出は、決してナチス批判でも人間に潜む悪意でもなく、劇中での点の一つ一つは寧ろ"優しさ"が根底に存在していたのだった。
その点と点を繋いでゆくと映画は終わる。
最後に本人が映される。
個人的には、点繋ぎでもう少し違う終わり方(表現)を勝手に期待していたかも知れない。
いい作品ではあった。
鬼籍に入って久しいが、東京大空襲で片目を無くした祖母を思い出した。