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ダンケルクのshunsukehのネタバレレビュー・内容・結末

ダンケルク(2017年製作の映画)
2.5

このレビューはネタバレを含みます

物語は三つの軸で進行する。
一つは、数十万の連合軍の兵士たちがドイツ軍に包囲されたダンケルクの浜から脱出しようとする話。これを観て、私は芥川龍之介の「蜘蛛の糸」を思い出した。ここでは誰もが自分が生残ることだけを考えている。だから、先を争って救助船に乗る。乗れた者は上に上がれる何かに縋れたと思っている。取り残された者は、まだ掴めないその何かを亡者のように探している。しかし、その救助船はドイツ軍の爆撃を受け、地獄と地獄の手前が入れ替わる。次の救助船に乗れた生残った兵士たち等が食事を配給され少し安堵しているとき、魚雷がその船腹を破り船室が海水に満たされる。そこは逃れたはずだった地獄の真っ只中。澄み切った水、それそのものが地獄であることが恐ろしさを際立たせている。「蜘蛛の糸」は人間の浅ましさを描いていて、この映画の彼らにもそれを感じるが、同時に、生残りたいのが普通だとすれば誰でもこうなる、という思いも湧き起こる。
二つ目は、ダンケルクの兵士を救出に行く民間の老人と二人の青年の話。彼らは途中でダンケルクから逃れて生残った一人の兵士を救う。彼は、ダンケルクに向うことは死を意味すると言い、国に戻るように強く求め、三人ともみ合う。その結果、青年の一人は大怪我を負い、兵士は三人に従う。この三人は自分たちの命を賭けて、他者の命を救おうとする利他の人たちだ。老人はこの戦争で息子を亡くしており、更に多くの若者たちが命を落とすことを少しでも止めようとしている。瀕死の青年は、この航海で自分は何者かになったと、自分の死を悟りながら喜んだ。もう1人の青年は、既に死んでしまった青年の容体を尋ねる兵士に、大丈夫だと言った。彼は、なぜ青年の死を兵士に告げなかったのだろう。その理由の一つは、それまでに散々苦しんだはずの兵士に、これ以上の苦しみを与えることが忍びなかったのだろう。もう一つは、青年の死に、それは救った兵士によってもたらされた、というような空しさを付け加えたくなかったのではないだろうか。彼らは利他の人であり、一つ目とは対照的だ。
三つ目は、イギリス軍の戦闘機三機の小隊の話。彼らのミッションは、ダンケルクからの連合軍の脱出を阻止しようとするドイツ軍機を撃退することだ。彼らは鍛えられた兵士であり、一つ目とも二つ目とも違う。ここで印象的なのは、最後に撃ち落とされずに残った一機が、ついに燃料がなくなってプロペラが止まったあと、あり得ない時間滑空し、途中でドイツ軍機を一機撃墜した後、更に海岸沿いを滑空して、手動でランディングギアを出して砂浜に着陸したことだ。この長時間の滑空は何を意味するのか。それは現実の地獄のような戦場の中での非現実、阿鼻叫喚の中での静けさ、混沌と混乱の中での安寧。飛行機越しに見える海岸沿いの街はとても平穏に見えた。これほど平穏に見える街が、実は地獄であるという現実。奇跡的な滑空を続ける戦闘機のランディングギアが手動でしか出ないという現実。その戦闘機のパイロットは、その着陸後、ダンケルクの連合軍の兵士を救うという奇跡の一翼を担ったその記念碑的戦闘機を燃やしてしまう。それは、敵にその実機から分かる情報を与えない為なのだろうが、正義などない戦争に、それを誇らしく振り返るための記念碑などいらない、というメッセージのように思えた。
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