りょう

散歩する侵略者のりょうのレビュー・感想・評価

散歩する侵略者(2017年製作の映画)
4.2
 6年前に観ていましたが、クライマックスの侵略シーンの描写があまりに陳腐で…、完全に萎えてしまい、「なかったことにしてしまえ」という強迫観念に駆られ、ほとんど記憶から抹消されていました。あらためて観てみましたが、それ以外は完璧な作品だと思います。
 いつも賛否がある黒沢清監督ですが、これも個人の好みが影響する作品です。ほとんどリアリティを無視した設定で、日常生活を舞台にした物語にもシュールな描写を隠さないので、“普通”のエンタメを観ているつもりでいると困惑・混乱するばかりです。映画の技法も“やりすぎ感”はありますが、さすがの領域です。
 とりわけ松田龍平さんのキャスティングがハマりまくっていて、飄々とした彼の佇まいは、つかみどころのない加瀬真治=“侵略者”の言動にぴったりです。ピンポイントで登場する神父がとても重要でしたが、真治にやられてしまわないような精神構造のキャラクターとして、東出昌大さんのキャスティングも絶妙でした。
 地球人(人間)は無数の“概念”をもっていますが、それは本能のようなものもあれば、社会を形成する過程で創造してきたものもあります。どれも完全には言語化できないものばかりなので、“概念”という単語で簡略化し、それを奪って人間性を理解しようとした“侵略者”(この物語の原作者)の発想は素晴らしいと思います。ただ、それを日本の特定の地域で、しかもたった3人で数日中にやってしまおうなんて、そこで獲得した“概念”だけで構築されたような人間性は、とても不完全なもののはずです。圧倒的な暴力で侵略を成功させるには、その程度でよかったのかもしれませんが…。
 まさか黒沢清監督が“愛”をテーマに選択するなんて、とても意外でしたが、そんな王道でストレートなはずもなく、やっぱりモヤモヤした印象のままエンディングを迎えました。そこに1つの疑問があったからです。
 “愛”で侵略を阻止できたのなら、その“概念”を共有しているはずの人間は、どうしていつまでも戦争や侵略をやめられないのでしょうか。
 “侵略者”たちが獲得した“概念”は、“家族”“自由”“所有”“自分”“仕事”“邪魔者(迷惑)”などでした。これらに共通するイメージは、他者を排斥するイデオロギーです。その代表が“差別”と“独占欲”であり、“共生”などとは相いれないので、いつの時代も紛争の原因となってきました。これらの“概念”を奪われた登場人物たちは、どことなく囚われていたものから解放されたような言動が目立ちましたが、それが示唆するものとはいったい…。
 ものすごく哲学的で、そんなテーマを物語にするなら、映画というフォーマットはふさわしくないような壮大なものです。宇宙人が侵略をやめたことと地球人が紛争を根絶できないこと、登場人物が奪われた“概念”、その3つの相関関係を思考すると、なかなか興味深いものになりそうです。
りょう

りょう