このレビューはネタバレを含みます
テレビアニメ版『マクロスΔ』の再編集版。イツワリやサヨナラのように大幅な変更点があるわけではなく、あくまでテレビアニメ版のメインストーリーに沿って追加シーンやボイスが収録されている。
イツワリと同様に主人公とヒロインがパイロットとウタヒメになるまでを省略、もしくは短縮することでそれ以外のシーンに尺を割くことを可能にしている。劇場版Fでは生じた尺を使って三角関係を深掘りし、ライブシーンをアップグレードしていた。本作においてもライブシーンが大幅に強化されているが、三角関係は深掘りどころか無かったことにされているレベルでミラージュの恋愛に触れられない。
テレビアニメ版との細かい相違点は多くあるが、大きな変更はやはりライブシーンに代表されるだろう。特に、3Dモデルを使用したライブシーンを挿入した点と、楽曲が変更されている点は特筆したい。テレビアニメ版では戦闘のたびにライブを披露する関係上、作り込まれたシーンが少なく、披露回数が多いことでテンプレ化してしまい激情を抱きづらくなってしまっているという問題を抱えていた。劇場版では、尺の都合ももちろんあるが、披露回数を絞り、『ワルキューレがとまらない』などキャッチーな曲を採用し、3Dモデルを使ったライブシーンを挿入するなど、1曲あたりから得られるインパクトを最大化する試みがなされていた。そのライブシーンについて、3Dになったことで手が抜かれているわけではなく、宇宙空間でライブすることを活かした縦横無尽のカメラワークと、ミンメイ・ディフェンスを彷彿とさせるホログラム技術によって近未来におけるライブ体験として説得力を損なうことなく満足のいく映画体験の水準に達していたように思う。
テレビアニメ版ではロイドの思想が意味わからなかったりメッサーの死に際があっさりだったり最後の方ぐだぐだすぎだったりで叩かれがちだがハインツと空中騎士団の活躍を大胆にカットすることで美雲とフレイアをはじめとするワルキューレの結束の強さにフォーカスし、ぐだぐだしてるやりとりを最小限にとどめている。メッサーの死、それを乗り越えるカナメがテレビアニメ版の大きな見どころであったがメッサーの死亡シーン自体を見どころとして使い、メッサーの死を乗り越えるカナメを映画のラストに持ってくることで中弛みを回避している。ロイドの目的はウィンダミア人寿命短すぎ問題を解消することに変更されており、寿命の長さに固執するロイドと一瞬の生から永遠を感じ取ったことで人生を肯定するキースの対比は哀しくも美しかった。
全体的にテレビアニメ版を不出来にしている要素を削り、見せ場を作り出しているので総集編としては十分満足のいくクオリティだった。しかし、そもそもマクロスΔのメインストーリー自体がそこまでおもろくないので、マシになったというだけで特別おもしろいわけでもなく、激情を抱くには不十分だった。ワルキューレ興味あるけどテレビアニメ2クールも観るの怠いってオタクにこれ勧めとけば良いみたいなポジション。
以下、雑感。
・『ワルキューレがとまらない』が途中でとまって泣いた
・ハヤテが既にΔ小隊入ってるところから始まるからめちゃくちゃ人としてシャンとしてる
・肌晒しすぎやろ。これじゃ激情のワルキューレじゃなくて「劣情のワルキューレ」だよ〜
・俺もキースと全く同じタイミングで「かわした……だと!?」って言った
・ワルキューレとハインツの合同ライブぜってーアツいだろ。ワルキューレのごりごりのサウンドのバックでハインツのコーラス入ってたらぜってーアツいだろ。ライオンのバックの愛おぼみたいになるだろ絶対。
・「俺のルンまで……ピカッと!?」←ガチ神