記録用
片山慎三監督作品。
ハンディキャップを持つ兄妹の辛い現実を生き抜く重く険しい日々。
「パラサイト」のポンジュノ監督の助監督などで経験を積みデビューした作品。韓国映画特有のドライさと生々しさと激しさのイズムが受け継がれている。
片山慎三監督が私の好きな漫画家のつげ義春の原作漫画の映画化をするので久しぶりに鑑賞。
身体的にハンディキャップを持つ兄と子供のような精神年齢である妹の二人生活という過酷な始まりからさらに仕事をクビになり家賃も払えなくなる。
さらには違法な買春行為にも手を出すが。
監督のインタビューを読んでみるとまず買春行為自体にそこまで大きく罪をしているという印象自体を監督は持っていないよう。
世界最古クラスの職業であり福祉に頼らないハンディキャップをもつ方がどうお金を稼ぐかというノンフィクションを見たことがキッカケらしい。
妹のように自分の承認欲求を満たしお金を稼ぎ捕まるが出て繰り返す人がたくさんいるという話が映画の元のひとつになっている。
二人は兄は自分ができないことへの辛さを妹にも当たる場面や言うことを聞かない妹へ辟易してしまう場面もあるがそれと引き換え祭りに出かけ花火を買って二人で行う場面はそこだけを切り取れば日常の普通の家庭でもあり得る場面ばかりだ。
二人の置かれた状況と日本の一般的な鑑賞者の状況を比べてしまうと胸が苦しくなる展開があるかもしれないがそれはある意味無意識下での差別がある可能性がありこの兄妹に誰も手を貸してあげられない状況に似ているかもしれない。
しかし監督はそこへ注目してほしいわけではなくそのような状況であるならば違法な買春行為もあり得、ゴミを漁りそれでも生きたいと思う人間の生命力。
そして妹の女性、人間として尊重されるような扱いが人しての尊厳を保たれるようなことを途中で登場する低身長症の客から一時でも得れたことは幸福であったのかもしれない。
兄も自分の昔と重なる虐められている高校生に妹を売るという最低な行為であってもその高校生から感謝され金銭を得ることにより兄妹の生活が支えられれば幸福で何が悪いんだ!という主張がみえる。
犯罪行為なのでいつか報いは受けるだろうがそれよりも儚く生きる強さを見せたいのだろう。
どんな状況でも生きる力こそが美しく強いというのが画面越しでも伝わるエネルギッシュさ。
この作品でこれらを肯定していると仮定し逆に悲しい場面として撮られているのが妹を先ほどの客に結婚してほしいと兄が迫るが断られ事情を知らない妹がその客のもとへ行けないことを悲しみ路上で駄々をこね泣き叫ぶシーンはこの世界の中だと1番の悲劇として描かれている。
最後に監督は国や役所が手を差し伸ばせられるのでは?というツッコミはなしにしてほしいらしいです。
あくまで映画でフィクションで寓話として鑑賞されるのが望みらしいので。