きらきら武士

ブータン 山の教室のきらきら武士のレビュー・感想・評価

ブータン 山の教室(2019年製作の映画)
4.4
ほんとうの幸せとは in ブータン

「幸福の国」として知られるブータンを舞台に、真の幸福とは何かを静かに問いかける作品。古今東西、繰り返し取り上げられてきたテーマを扱っているが、険しく美しい山岳地帯(※1)や、文明から隔絶された「ルナナ村」の映像美が観る者を深く魅了する。余計なものを削ぎ落とした伝統的な暮らしが、人が生きるために本当に必要な「豊かさ」とは何か、そして「幸せの本質」について考えさせる映画だ。

主人公は首都ティンプーで暮らす若者。都会的な物質文化に囲まれ、ある夢を抱いているものの、何かが満たされないまま無為な日々を過ごしている。そんな彼が、政府の指示により教師としてブータン国内の僻地ルナナ村へ向かうことになる。ブータン政府が掲げる「国民総幸福量(GNH)」の実現に向け、すべての子どもに教育の機会を与えることは政策の柱の一つであり、彼の赴任もその一環なのだ。渋々出発する彼の姿には、日本でもどこにでもいそうな今風の若者が重なる。物語への導入部としても無理がなく自然だ。

ルナナ村は実在の村で、標高4800メートルの地にあり、最寄りの町から険しい山道を8日も歩いた先にある。電気やガスもない日々の生活は非常に質素で貧しいが、村人のシンプルで温かな心に触れ、学びを求める子どもたちと過ごすうちに、彼は次第にやりがいと生き甲斐を感じるようになる。

特に印象的なのは、ペム・ザムという「委員長」の女の子だ(映画ポスターの子)。利発でとても可愛らしく、あまりに演技が自然なので「プロの子役か」と思ってしまったが、公式HPによれば本当にルナナ村に住む子どもで、名前もそのままだという。映画と同様に複雑な家庭環境で強く生きる姿には、どこか「おしん」を彷彿とさせるものがある。ブータンの人々の顔が日本人にとても似ていることもあり※2、自然に感情移入してしまい涙腺が緩んでしまうのだ。

劇中では、学校の教室に老いたヤクが連れられて来て、室内で飼われる(映画の原題も“Yak in the Classroom”)。「ノルブ(=宝)」と名付けられたこのヤクは、村人にとって文字通りの宝である。村には「ヤクに捧げる歌」が歌い継がれており、動物や山の神々に祈りを捧げるこの歌は、単なる音楽以上の意味を持つ。まさに「魂の歌」と呼ぶべき深い精神性を宿しており、本当に素晴らしい。どこか日本の民謡にも通じる趣きがあるのも興味深く、個人的な音楽趣味としても非常に共鳴するものだった。

映画はこの歌から始まり、繰り返し歌われることで物語全体の重要な鍵となり、同時に映画のトーンを支えている。ヤクと人との深い関わりは、単なる家畜と飼い主を超え、「魂を分かち合う」ような結びつきとして描かれ、村長が歌う場面では、仏教国であるブータンの「輪廻」の思想が表れ、作品全体を大きな「円環」で包み込む。主人公が峠で捧げる祈りは、映画では語られないその後の「希望」を指し示しており、エンドロールで再び流れる「ヤクに捧げる歌」が深い余韻をもって映画を締めくくる。構成も素晴らしい。

この作品の背景には、ブータンが掲げる「国民総幸福量(GNH)」の理念がある。経済成長だけでなく、伝統的価値観や環境保護を重視するブータンの思想が、作品全体を通して浮かび上がってくるのだ。華やかなものや都会の便利さとは無縁の村での生活が、主人公にとっても観る者にとっても「心の豊かさ」を見つめ直すきっかけとなる。

劇中には、「対比」や伏線が巧みにちりばめられている。たとえば、次のようにテロップで場所やデータが示される。
- 「ティンプー:人口 10万1238人、標高 2201m」
- 「ルナナ村:人口 56人、標高 4800m」

そして、映画の最後に主人公が行く場所にも同様の数値が表示され、この対比が良い効果を生んでいる。これは、数値で表せるGDPと、数値にできないGNHを対比し、目に見えるものと見えないものの存在を暗に示しているようでもある。

また、この「対比」は映画のさまざまな場面に自然に挿入されており、たとえばトイレットペーパーの話一つにしても貧しさと豊かさをさりげなく伝え、観る者を思わず微笑ませる(ルナナの人も屈託なく笑っている)。各所に控えめながらも伏線が用意され、物語の中で自然に回収されていく。脚本・演出の丁寧さと巧みさが際立っている。※3

物語は静かに進むが、「本当の豊かさとは何か?」という問いが、観る者の胸に確かに響く。シンプルで力強いこの作品は、喧騒から離れた場所で生きる人々の幸福観を描きながら、幸福についての普遍的な問いを私たちに投げかけてくるのである。

監督のパヴォ・チョイニン・ドルジはブータン出身で、12月には新作『お坊さまと鉄砲』が日本で公開されるとのこと。2006年の民主化の最中のブータンを舞台に、銃と選挙をめぐる騒動を描くそうだ。こちらも注目したい。

----

(※1)映画では、標高が上がるにつれて植生が変化する様子が見て取れるのも面白い点である。亜熱帯から温帯、さらに亜寒帯気候へと遷移していくダイナミックな垂直分布は、日本の屋久島に匹敵する、あるいはそれ以上のものかもしれない。
なお、ヤクと屋久が重なるのは多分偶然…あるいはオヤジギャグ症候群…

(※2) 村長さんなんか、まるっきり柄本明か、ずんの飯尾さんである。ガイドのミチェンは、高山の清い空気で浄化された小澤征悦。

(※3)本作品は、2022年の94回アカデミー賞の国際長編映画賞にノミネートされた。濱口竜介監督の『ドライブ・マイ・カー』が受賞した回。やはりどこか日本とのご縁を感じてしまう。そんなブータンは大の親日国とのこと。

(余談)映画とは関係ない話だが、映画を観て昔携わったフリースクールの運営のことを懐かしく思い出したりした。黒板を手作りして民家の小さな部屋に設置し教室にした。毎年夏には黒板を塗り替えた。子どもたちの人数も最初はルナナと同じぐらい。当時、子どもたちの成長著しい姿に大いに励まされものだったっけ…。
きらきら武士

きらきら武士