このレビューはネタバレを含みます
三沢伊兵衛は剣の達人だが、諍いを好まず、仲良くして助け合う、そのような生き方をしている。また、自分に合わない役人の仕事には見切りを付けるが、剣術指南番としても身を落ち着けることが出来ず悩んでいる。彼にとっては、武士としての誇り、面子、恥を恐れ避けることは大切ではなく、賭け試合で勝ったり、道場破りでわざと負けて道場主に可愛がられたりすることで食いつないだりもする。強さ、優しさを持ちながら、武家社会の普通の価値観と自分の価値観のずれのため悩みも持つ清々しい男だ。彼は、刀は人を切る物ではなく自分の馬鹿な心を切り捨てるための物だといい、時に、その言葉通りに森の中で自分の心を見つめて刀を抜き一振りして、また、収めることを繰り返す。彼の妻のたよはそんな伊兵衛の理解者であり、賭け試合以外は彼の望むように振る舞うことを望み支えている。
伊兵衛の達人ぶりを目にとめた藩主が彼に経歴を確認したとき、賭け試合をしたかどうかに鋭く反応した。伊兵衛はそれを隠す。しかし、藩主は道場破りでわざと負ける話は面白がる。一体これの違いは何なのか。熟考したが分からなかった。ここが、この映画の要点の一つなのではないか。つまり、武士の誇り、面子、恥を恐れ避けることとは、このように説明がつかないあやふやなものだ、ということを表現しているのではないか。一方で、何が藩主の琴線に触れてしまうのかを嗅ぎ分けた伊兵衛の感覚の鋭さが光る。
伊兵衛が賭け試合をしていたことを知った藩主が彼を剣術指南番として迎え入れないことを伝えに来た藩士に、たよは何のためにそれを行ったことが大事で、それを理解できない彼らをでくの坊と言った。たよはこれからは好きなときに賭け試合をやってくれという。たよが伊兵衛を誇りに思う気持ちが一段高いところに上がったようだ。