このドキュメンタリー映画の胸糞悪さは三層からできている。
一層目はもちろん12歳の少女たちに欲情する男たちのリアルなその発露の気色悪さ。チャットでの初対面から股間を手でいじっているわ、あまつさえそれを見せつけるわ、卑猥な言葉を投げかけ続けるわ、どうにかして彼女らを脱がせようとするわ、やがて写真を手に入れて脅迫者に転じるわとまあ物凄い。たとえ脱がなくたってそこに女の子さえいればどんな風にでも性欲を刺激できてしまう。彼らはおそらく性加害をしている自覚に乏しい。劣情に目を血走らせたその表情を目の当たりにする不快さは、モザイク越しにもキツいものがある。人間の最も厭な一側面を今見ている感触が胸糞悪過ぎる。
二層目はこれを撮影している制作者サイドに対してである。問題提起の意義のことは理解できる。SNSの危険性はもっと認知され、身を守る術が啓発されるべきである。性加害者はちゃんと罰せられなければならない。しかしこんな風に罠を張ればあんなひどい状況になることを彼らは確実に分かった上でやっている。自分たちの姿勢が咎められないようにルールを設ける用意周到さが、こちらを俄かに落ち着かない気分にさせる。だから一人だけいた好青年がどこか用意された人物に見えぬこともない。制作者も何となく信頼できないのである。合成の裸の写真まで用意して少女を脅迫させたのはやり過ぎではないだろうか。とは言えそうしてしまうくらいこの問題が深刻なのも確かである。
三層目はこの映画がどんな類いの映画かちゃんと理解していて、けしからん不快だ胸糞悪いと尤もらしく言いながらも、最後までちゃんと鎮座して観てしまう己に対してである。結局私は高みの見物をしていたのではないかとふと気づいて、尚更に厭な気分を深めてしまった。しかも性の嗜好性のことは何かしら秘めておきたい部分が大抵の人にはあるはずなのにである。生涯でも指折りの胸糞映画だったと思う。