ケイレブ・ランドリー・ジョーンズ主演。
オーストラリア史上最悪の銃乱射事件の犯人を描く。
この2点が、今作を観る前に俺の知っていた情報。
以下、今作を観た後に感じた事。
確かに銃乱射事件の犯人を描いてた。けど、彼の心情は全くと言って良い程理解出来ない…
この映画が始まって終わるまでに映された内容しかわからない。
幼少期に花火で火傷を負うが、成長しても花火をやめられない。周りの家の住人の迷惑になっている。
知的障害なんかな?冷たい母親。彼を疎ましく思ってる?
父親は対照的に優しい。
彼は嫌な母親から離れ、優しくしてくれた金持ちの老女ヘレンと暮らすようになる。
ずっと異様。
主人公の名前もわからない。
アマプラのあらすじに書いてるニトラムが名前の逆さ読みなんて情報は、映画を観るだけじゃわからない。
ずっと不穏。
ニトラムと呼ばれるのを嫌がる主人公。
多分、やりたい事を自分で止める事が出来ない病気。それが悪いという事も分かっているのか、いないのか?
で?
だから、銃乱射事件はオーストラリアの銃規制法が悪いと?
それとも、劇中、違和感や間違いと感じる部分が多々あるけど、それを正せなかった両親が悪いと?
ニトラムは父親の事が大好きやと思ってたのに、急にボコボコに殴りつけた意味は?それを映像にした意図は?
その後、ニトラムの言った、「こうすれば良かった」って何?
頭をフル回転させても理解出来ない。
観ているこちら側はどうすれば良いというのか?
障害についてもっとよく知れば良いのか?
父母が生まれた時からそれを出来ていれば良かった?としても、この映画の始まりではもう修復は不可能じゃないのか?
じゃあ、芝刈りさせてくれって言いに来た不審者を、「パパがやる。」って追い返すのが正解?関わらないほうが身のため?
もしくは、暴力で追い返すのが正解?
…これやん。
「こうすれば良かった」の掛かってる場所、これやん…国語の問題みたい…
ニトラムはもう一つの役割を担がされてるって訳か。ニトラムは暴力と共に店に来るなって言われた。それを理解出来た。
だから父親に理解させるために殴りつけた。
そうか。
実際の事件の犯人を知らんけど、この映画では純粋に周りから受けた事柄を周りに還元していく存在がニトラムなんや。
この映画を観ているうちに自分の中で育つ不気味さ。それがニトラムを形作る。
ニトラムは彼じゃない。
劇中の登場人物たちも彼とニトラムを重ねる。
誰も彼の名前を呼ばない。
マーティン(ニトラムの逆さ読みが本名って事なんで)はニトラムじゃなくて、自分を見て欲しかったんやな。
って事はさ、マーティンをニトラム呼びしてる俺も片棒担いでるやん…
うわ…かなりの胸糞…
それでも、納得出来へん事が多過ぎて、怒りが湧く。と同時に自分の無力さも感じる。
マーティンは命を理解出来てない。
映画の外側の事はわからんけど、多分、誰からも教わってない。障害のせいで理解出来ない?障害があるから言っても無駄?
そこにはニトラムじゃなくマーティンを見てる人物はいた?マーティンの意思はあった?
彼に与えられるのは幼少期から愛情より暴力のが多かったのかも。
父親の見て見ぬふりだって暴力。ヘレンの金の力だって暴力…
彼が教わったのは、店に二度と行ってはいけない事と人を従わせる方法くらい。
花火の時、車の運転中に助手席からハンドルを触った時、エアガンを撃った時、行方不明のマーティンを必死で探す母親を嘲笑った時…
誰も彼に駄目な理由を教えない。
我関せずな態度の母親が悪いのか?
もし、マーティンに以前から暴力的な部分があり、子供の頃からその無邪気さを恐怖と感じ続けて来たんやとしたら?母親を責められるか?
それが障害のせいなら、何をどうすれば良いんや…
わからん。考えがグルグルする…
銃乱射事件の犯人の肩を持つつもりはない。
けど今作は、二トラムを鏡に見立てて、暴力社会の歪みを見せる映画なんかも知らん。
そして、自分もそこにいて何もしていない事を痛感させられる。
日本に銃が無くて良かった…なんて話じゃないよな、マーティン。
俺は、君の名前を呼ぶ事しか…
ほんで、こんな役を演じ切るケイレブ・ランドリー・ジョーンズ。すごい役者を通り越して恐怖を覚える…
自分の罪を数えられへんなら、今作は観ない事をおすすめする。
最後に、マーティンの犬の扱い方、めちゃくちゃ嫌。