昔視点の美少年が世界に見つかる前夜と、世界を信用できなくなっていく様子、そして現在視点の生活力のない状況と、年の離れた恋人という落差と、どちらの視点でもわかる彼の苦悩を見ながら、映画が途中まで進んできた。ベルサイユのばらは、私が小学校4年生の時に、愛蔵版を知り合いのおばさんの家の屋根裏から見つけて夢中になって読んだ大好きな漫画の一つである。しかし、彼の苦悩を見た後に池田さんが彼を勝手に(?)モデルにしたことに複雑な気持ちとなった。世界中のみんなが彼の消費者で、彼にとって重要な何かを世界が彼に還元することはなかったのだと思うと、苦しくなった。何より、私もベルサイユのばらを愛読していたことで、間接的に彼を消費していたことになるのではないかと思う。映画の中で池田さんが、私もみんなもあなたのの外側しか見てなかったのかもしれないと言った時のビョルンの表情が切なく、それにずっと気づいて欲しかったんだろうなと推察した。でも、その後多分中身も無意識にわかってたというようなことを池田さんが言ったので、ビョルンの悲しそうな顔が引っ込んで、親しみが消えたような気がした。
部屋の汚さや、人間関係の大切にできない感じが、そもそもそのやり方を知らないのではないかというと同時に、常に何か不安定な感じで、セルフネグレクト、そもそも自分をどう大切にするのかやり方がわからないのではないかという感じがした。彼の人生の変遷を一気に見てきて、人生ってなんだろうと思った。きっともっと良くなる、幸せになる、と思いながら生きたり、幸せを感じて明日も頑張ろう、と思うのが人生だと思っていたけれど、映画の中で希望を見出していたり現状に満足したりしている様子がなかったので、彼はどうやって生きているんだろう、彼によっての信仰とはなんなのだろうと思った。
このレビューでまた彼の人生を消費してしまった感じは否めない。