とんでもなく良い作品
そしてこの笑える感じ、自分の家族を見ているみたいだった。家族ならではの間合い、会話のスピード、何となく分かっちゃう感じ、しょうがないなあーってお互いやってる感じ
巷の家族論みた>>続きを読む
あの時点でハッピーエンドと呼べるのかは分からないけど、数年後になぜかまた会うようになったりするから、どこの時点で切り取るかによって、アンハッピーもハッピーも存在できるよなあ。DJになったユウタのイベン>>続きを読む
高畑勲のアニメーションは、本当に本当の、アニメーションだな ✴︎ 漫画映画ではない
オーケストラの中にいるときと、動物たちと一緒にいるとき、明らかにゴーシュの態度が違ったのだけど
みんなどこかで>>続きを読む
この映像はアニメーションではなくて、マンガだと思った。
それから隣の家に住んでいた友人のことを思い出すには十分な一時間だった。
家と小学校を往復して生きていたあのころ、ゆるされるかぎりの時間をその>>続きを読む
圧巻だった!世界を彷徨った挙句、最後また放り出されてしまった。着地なんて存在しなくて、わたしたちはずっとこうして彷徨わなければいけないのだと思った
帰り道、ああだこうだと映画から派生して考える時間が>>続きを読む
ひとり旅に出ようと思うときはいつも、旅に出たいなーではなくて、
都心から帰る電車のなかで、あるいは人と話していて、ほんとうに場所を選ばず、唐突に 旅に出なければいけない という衝動に駆られる
今この>>続きを読む
エンドロールが始まって最初に、平山さんに会いたいという気持ちが募った。そしていつからか流れていた涙が、終わるころにはどうにも止まらなくなっていた。
人が存在するだけで、そこには光と影がある。光なくし>>続きを読む
山ちゃんが炊飯器のまえで待ちかまえて、炊けた瞬間にあけるシーン、鳥肌が止まらなかった、あまりに生きてた
この作品をつくった方は、大事なひとを亡くしたことがある人なのかなとか、想像
景観との対話、景観との関係性からつくられているというのをひしひしと感じた。思わず子どもがずっと触ってしまうようなデザインって、本物なんだろうな
人間は自然の一部だから、自然と同じサイズであるべきだろ>>続きを読む
京都の街でとうとうと生まれる群像劇。豆腐屋の前で豆腐食べるの、いいな
いつものメンバー(小林聡美、もたいまさこ、加瀬亮、市川実日子、光石研)なのに、いつだって新しい関係性でひとつの作品をつくりあげて>>続きを読む
友情でもなければ、愛でも記憶でもない世界だった。彼らにきっと名前はない、誰にも分からない。
そういうふうに名前をつけてしまうことから脱したら、人はどんな感じだろうね。ひとまず、ウルフルズで踊りたくなる>>続きを読む
うつるものすべてが、初めて観たのにそうじゃない感覚。ずっと宮﨑駿のアニメーションに心躍ってきたんだよな
何でも確かな言葉にできると思っていることも、分かりやすさを求めることも、理解できると思ってるこ>>続きを読む
久しぶりに観た
「風の谷のナウシカよ」って自己紹介すきすぎる
虫と自然はあんなにも傲慢な人間をゆるしてくれるのに、平気で燃やして毒する世界がいまも加速していく感覚がかなしい。自然が好き!とか口が裂け>>続きを読む
日常生活で少し歯車が合わなかったときに、よく「人生〜〜」って言ってたけど、あれやめようと思った。総括できるほど生きてない!
自転車で二人乗りをするって、子どものときにやっておかなきゃいけないと思う、本当に!
しょうもない久ちゃんの父親は、すごい人だった。子どもだけの冒険を後押しして放っておける、泣きたいときに後ろに乗せてく>>続きを読む
味噌汁がしょっぱいと伝えるおばあちゃんと、しょっぱいことを最初は言えなかった陽。気づけば伝えてる陽。それが愛情とさっくり言えてしまうのは違うかもしれないけど、人間ってどこまでもシンプルになれないってい>>続きを読む
映画館で観れたからこういう感情になったんだろうな。感動とかではない涙が勝手にどんどん流れて、体感もあつくて、ふしぎな2時間だった
今がいちばん楽しい。それで振り返ると楽しかったときは、あの頃になっている。でもどうせあの頃になるんだから、やっぱり今を生きたい。なんか不思議だけど結局いつもそう
わたしも保育園のころ、あややと、ごま>>続きを読む
なぜかラストにむけて、どばどば涙が出てきた。何に、って言われると難しいけど、負けまくってるけど何にも負けたくない気持ち、私にもあるのかもなあ
自転車で4人が突っ走るシーン、私にもああいう感覚あるなあ>>続きを読む
最近のアニメーションとは一線を画す感じ。時代そのもの、音楽のチョイスにもやられた
さくらももこ作品に抱く懐かしさってなんなんだろう、自分の目で見てきたものだけではない感覚、それでも懐かしいってなる感覚>>続きを読む
耳がよろこぶ音楽集結
タバコ吸ってる人ってずーっと見てられる。あと、ヴィンセントがトイレ行くたびに危ないことが起こってるの笑う
しばらくパルプフィクションの音楽ききまくるんだ
映画とかドラマでしか言えない台詞みたいなのが一切なくて、だれかの会話をそのまま聴いてる感じ。
あだ名の付け方、漏れる心の声、真実よりも矛先もとめてるあの感じ、会話の一端から連想とまらない感じ、
自分>>続きを読む
父が母になりたがった理由、シンプルに心の底から愛していたからこそ、近づきたいと思ったのかもしれない
あと、ダリアは養子なのかな、瀧の性自認ってどれなのかな、とか考えたりもしたけど、そこに名前を与えよ>>続きを読む
シンプルに、登場人物が忠さんとかかわったら忠さんのことが好きになったっていう話。
属性(や属性とされてしまうもの)で判断するのはセンスがないってこと、それよりもその人と関わって好きかどうかということ
あなたなら、どこにいたって孤独を手放さずにいられる
ここ数年で一番好きな一文かもしれない。たえちゃんめ、他者を主語においてこんなこと言えちゃうなんて!そしてこれは何より、ちひろさんが救われたんじゃな>>続きを読む
羌瘣「無理じゃない。だってお前はまだ生きてるじゃないか」でどばっと涙出た、清野菜名の表情よ。謎が多くみえる彼女の、生きる理由がすべてこもったシーンだった。
原作愛ゆえについうがった見方しちゃうけど、>>続きを読む
久しぶりに観た
イハと青がワンカットで延々と話すところ、あれがなかったらこの映画じゃないなってくらい映画を体現してる。どうでもいい内容なんだけど、どうでもよくあってほしいというか
次の日の朝、イハの家>>続きを読む
三橋のパパ(吉田鋼太郎)目的で観た。三橋家のシーンはワンカットだったけど、しょうもなくて最高でした。
映画でフォーカスされてたわけではないけど、British weather=four seasons in a day を思い出した。そこにビル・ナイがたたずんでると思うとたまらない
今年もたくさん本>>続きを読む
どのシーンが切りとられてもポスターになりうるこの感じ
ウェスアンダーソンの世界観のなかだと、キャラクターの大袈裟な態度やロボットみたいな表情のなさも心地よく映る不思議さ。要はふつうがない
久しぶりに鑑賞〜〜加藤登紀子の歌に痺れた
舞台は、第一次世界大戦を勝利で終えた独裁政治下のイタリア。ジブリ公式から、マルコは「迫り来る新たな戦争を前に再び国家の英雄になることを拒み、自分で自分に魔法>>続きを読む
タイトル、映画の構成、親たちの行動すべてが、優子に捧げられたものだった。
梨花さんがどこかで生きてる、そう信じてくれる優子がいることこそ、梨花さんが全うしたかった生き様であり、幸せなんだろう。
誰>>続きを読む
商業施設じゃなくて商店街だったから、大型温泉施設じゃなくて銭湯だったから、そこで生まれた会話と歩みがある。日常の生活と地続きだからなのかな
取り壊されるということは、誰かの居場所がなくなるということ>>続きを読む
犯人を予想しながら観ていたけど、そういう楽しみ方じゃないっぽい。とにかく、今作も、長澤まさみ演じる山岸さんのお客様ファーストっぷりには脱帽