1993年のマリオン・ヴェルヌー監督作品。セットデコレーターの父とキャスティングディレクターの母を持つ映画家族に生まれたこともあり、幼い頃から映画スタジオに通い、ベルナール・ブリエ、アンリ・ヴィルヌイ>>続きを読む
2004年のシャンタル・アケルマン監督作品。近年のアケルマン監督の再評価により数多くの作品が劇場で特集上映されているが、本作はそういったラインナップには入っておらず、日本ではなかなか観る機会の少ない作>>続きを読む
1996年のシャンタル・アケルマン監督作品。彼女は15歳の時に観たジャン=リュック・ゴダール監督の『気狂いピエロ(1965)』がきっかけで映画の道を志すようになる。1968年には初短編『街をぶっとばせ>>続きを読む
2022年のセルジュ・ボゾン監督作品。彼は1998年に『友情』という作品で長編監督デビューする前は映画評論家として活動していた。特にアメリカの古典作品への造詣が深く、オール・ウォルシュ、オットー・プレ>>続きを読む
2021年のアルノー・ラリユー、ジャン=マリー・ラリユー監督作品。彼らは兄弟であり巷ではラリユー兄弟として親しまれている。山岳映画を撮っていた祖父の影響で幼いころから映画に触れており、自分たちも撮りた>>続きを読む
1989年のヤニック・ベロン監督作品。彼女の長編デビュー作『誰か、どこかで(1972)』は変わりゆくパリの街並みの中に自伝的要素(夫の死)を交えて描いた、人々の孤独をテーマにした作品であった。この作品>>続きを読む
1949年のジャン・グレミヨン監督作品。グレミヨンという映画作家を形容する際にしばしば「呪われた」という言葉が用いられる。彼の作品がロケーションを多用した独自の美的感覚を持っていながら興行的に恵まれな>>続きを読む
1955年のアンドレ・カイヤット監督作品。彼はマルク・アレグレ監督『俳優入門(1938)』やジャン・グレミヨン監督『曳き船(1941)』の脚本で映画業界に進出する前は弁護士であったという異色の経歴の持>>続きを読む
1960年のアンドレ・カイヤット監督作品。彼にとって本作は『裁きは終りぬ(1950)』に続いて2度目のヴェネチア国際映画祭での金獅子賞受賞作品となった。弁護士の経験を持つ彼は1950年代に『裁きは終り>>続きを読む
1977年のアラン・コルノー監督作品。獣医の父の影響で小さいころから映画館に入り浸っていた彼は、後にジャズも興味を持つようになり独学でドラムを演奏するようになる。進路について彼は映画の道を選択し,高等>>続きを読む
2016年のウジェーヌ・グリーン監督作品。ニューヨーク生まれの彼は早い段階でアメリカを去る決心をし、ドイツ、チェコ、イタリアなどを旅した後、パリに定住し文学や美術史を学んだ。1976年にはフランス国籍>>続きを読む
1998年のニコール・ガルシア監督作品。彼女はパリのコンセルヴァトワールで演技を学び、舞台やTVドラマに出演し経験を積む。エチエンヌ・ペリエ監督『Des garçons et des filles(1>>続きを読む
1971年のピエール・グラニエ=ドフェール監督作品。彼はIDHEC(高等映画学院)卒業後10年ほどをマルセル・カルネなど伝統的なフランス映画の監督たちの元で助監督をしながら映画を学んでいる。1962年>>続きを読む
1970年のイヴ・ボワッセ監督作品。彼は若いころ映画誌に批評を寄稿したり、後に名監督になるベルトラン・タヴェルニエと共にアメリカ映画をフランスに紹介する雑誌『Vingt Ans de cinéma a>>続きを読む
2006年のフィリップ・リオレ監督作品。『パリ空港の人々(1993)』や『君を想って海をゆく(2009)』でお馴染みの名監督だけれど、本作は日本では劇場未公開。オリヴィエ・アダムの原作小説に惚れ込んだ>>続きを読む
本作は『マドモワゼル(2001)』『灯台守の恋(2004)』等のフィリップ・リオレ監督の2011年の映画。他のリオレ作品では、前作の『君を想って海をゆく(2009)』が数年前日本でも劇場公開されて話題>>続きを読む
本作は2012年のセネガルの映画で監督はムッサ・トゥーレ。エジプトや南アフリカ共和国等いくつかの国を除いて、日本で公開されるアフリカの映画はほとんどない。ハリウッド映画のロケ地などで登場することはあっ>>続きを読む
1969年のコスタ=ガヴラス監督作品。ギリシャ出身の彼は若いころ父親の政治的な立場などが影響し、パリへ移り住むことになる。ソルボンヌ大学では文学を専攻していたが、しばしばシネマテークへ通い、映画を観て>>続きを読む
1970年のコスタ=ガヴラス監督作品。前年の『Z(1969)』に続く社会派作品だ。『Z』は架空の国の物語を装いながら、独裁政権下のギリシャでの左翼政治家グレゴリウス・ランブラキス暗殺事件をモデルにして>>続きを読む
1983年のクロード・ソーテ監督作品。彼は10代の頃から芸術に興味があり、国立高等装飾芸術学校で絵画や彫刻を学んでいた。第二次大戦後映画を勉強するために高等映画学院に入学し、本格的に映画の道を目指すこ>>続きを読む
1981年のミシェル・ドヴィル監督作品。彼は1931年生まれということで世代としてはゴダールやトリュフォーなどのヌーヴェルヴァーグの監督たちと同世代だが、ヌーヴェルヴァーグの前の世代である「伝統的で良>>続きを読む
1949年のアンドレ・カイヤット、ジョルジュ・ランパン、アンリ=ジョルジュ・クルーゾー、ジャン・ドレヴィルによるオムニバス作品。この作品以降『七つの大罪(1952)』など複数の監督によるオムニバスはし>>続きを読む
1978年のジョルジュ・ロートネル監督作品。ロートネル監督と言えばジャン=ポール・ベルモンドとのコンビによる『警部(1979)』や『プロフェッショナル(1981)』など陽気なアクション映画がお馴染みだ>>続きを読む
1959年のジュリアン・デュヴィヴィエ監督作品。サイレント期の1919年に監督デビューしてから最後の作品『悪魔のようなあなた(1969)』までの長い間、フランス映画史を支える名作を数多く残してきた。1>>続きを読む
2013年のカトリーヌ・ブレイヤ監督作品。彼女は17歳の時に初めて書いた小説が過激な性描写を多く含んでいたために、18歳未満購買禁止とされてしまう。その後、イタリアでポルノ裁判にかけられたことでも有名>>続きを読む
1996年のパトリス・ルコント監督作品。彼は漫画家出身というのが一つの特徴だろう。雑誌に連載したり、自作の漫画の長編映画を自ら演出したりしていた。実写映画を撮り始めてからも『スーサイド・ショップ(20>>続きを読む
1996年のエリック・ロメール監督作品。「四季の物語」シリーズの第3作として作られた本作はシリーズのなかで唯一男性が主人公である。この主人公ガスパールを演じるのはメルヴィル・プポー。新人やそれに近い俳>>続きを読む
1989年のエリック・ロメール監督作品。彼はナンシーにいた若いころはリセで文学を教える教師であった。パリに移り映画批評家アンドレ・バザンとの出会いから、映画の世界にのめり込むようになる。モーリス・シェ>>続きを読む
2005年のステファヌ・ブリゼ監督作品。短編の監督や役者として活躍しながら1999年に『Le Blue des villas』で長編監督デビューを果たした彼にとって『愛されるために、ここにいる』は2作>>続きを読む
2002年のトニー・マーシャル監督作品。『偽れる装い(1944)』や『肉体の悪魔(1947)』のヒロインであるミシュリーヌ・プレールを母に持つ彼女は1970年代に女優としてキャリアをスタートさせる。1>>続きを読む
2009年のグザヴィエ・ドラン監督作品。本作『マイ・マザー』が彼の長編監督デビュー作である。主演、脚本、編集、衣装までこなし、19歳の若さということもあり、カンヌ国際映画祭の監督週間部門に出品されると>>続きを読む
1983年のロベール・ブレッソン監督作品。画家を目指していたブレッソンだが、毎晩映画館に通っているうちに映画製作に興味を持つようになり1934年に短編喜劇『公共問題』を撮る。修道女の物語である『罪の天>>続きを読む
1968年のフランソワ・トリュフォー監督作品。ヌーヴェルヴァーグの伝説的作品『大人は判ってくれない(1959)』でジャン=ピエール・レオが演じたアントワーヌ・ドワネルを主人公としたトリュフォー監督の自>>続きを読む
1992年のアルノー・デプレシャン監督作品。彼はIDHEC(現FEMIS=フランス国立高等映画学校)で映画を学ぶ。後にここでの同窓生の監督作にデプレシャンが脚本を協力したり、デプレシャンの監督作品に同>>続きを読む
2019年のドゥニ・コテ監督作品。彼はカナダ出身の監督で、ステファン・ラフルールやマキシム・ジルー、ラファエル・ウレットなど、2004年あたりから出てきたケベック映画の作り手の総称としての「ケベックニ>>続きを読む
1962年のアレクサンドル・アストリュック監督作品。彼は元々映画批評家として有名で1948年にレクラン・フランセ誌に発表した『カメラ=万年筆、新しき前衛の誕生』という映画理論が話題になる。カメラ=万年>>続きを読む