フジテレビ「楽しくなければ」からの転落 元敏腕Pも立て直せぬまま

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照井琢見
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 元タレントの中居正広さんと女性とのトラブルに関する週刊誌などでの報道に端を発する一連の問題は、フジテレビの経営を揺るがす事態となった。同社はどういった会社なのか。その歴史を振り返る。

 1957年、ニッポン放送と文化放送の主導で「富士テレビジョン」が設立される(後にフジテレビジョンと改称)。当時、先発の日本テレビが開局5カ月で黒字を達成していたことも影響し、テレビ放送の免許申請が乱立。ラジオ2社と東宝、松竹、大映の映画3社が申請を一本化することで、設立にこぎつけた。

 そもそもニッポン放送は日経連専務理事の鹿内信隆氏が専務を務め、文化放送も経団連理事の水野成夫氏が社長。この2社が主導してつくったフジテレビは、財界の意向を受けて生まれたテレビ局という色彩が強い。

 本放送開始は59年。当初は「母とこどものフジテレビ」として、女性や子どもをターゲットに番組を編成した。63年に国産初のアニメ番組「鉄腕アトム」を放送したのも、フジだった。

 しかし視聴率は伸びず、最後発で苦戦が続いていた東京12チャンネルを引き合いに、「振り返れば12チャンネル(現テレビ東京)」と自嘲する社員もいたという。そして放送開始から21年が経った80年、「(昭和)55年体制」と呼ばれる改革に着手。制作局の新設や、300人規模の人事異動など次々と手を打ち、「第2の開局」と位置づけた。

「ひょうきん族」「北の国から」ヒット次々の80年代

 「楽しくなければテレビじゃない」

 フジを象徴する、この言葉がキャッチコピーとして使われ始めたのは、81年のこと。この年、クイズ番組「なるほど!ザ・ワールド」やバラエティー「オレたちひょうきん族」、ドラマ「北の国から」などヒット番組が次々とスタート。82年に年間平均視聴率三冠を初めて獲得し、83年度決算では営業収入で在京キー局首位となった。

 この間、フジは「オールナイトフジ」(83年)や「夕やけニャンニャン」(85年)などヒットバラエティーを連発。とんねるずとタッグを組んだ「とんねるずのみなさんのおかげです」(88年)はフジの看板番組にもなった。その制作陣には、後に社長に就任する港浩一氏も名を連ねていた。

 バラエティーだけでなく、ド…

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    BossB
    (天文物理学者・信州大准教授)
    2025年1月27日19時46分 投稿
    【視点】

    私がテレビを見なくなったのは、高校生の頃からです。男女差別や人種差別的な内容や発言に嫌気がさし、くだらないと判断しました。さらに、テレビが消費社会の洗脳マシーンにしか思えなかったからです。さらに言えば、アメリカでも日本でも、芸能界は闇です。

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    伊藤昌亮
    (成蹊大学文学部現代社会学科教授)
    2025年1月27日21時43分 投稿
    【視点】

    フジテレビに対する世論の批判はある種の社会運動だと捉えることもできるでしょう。しかもそこには独特の歴史があります。 初期の2ちゃんねるではフジテレビ批判が盛んでしたが、その眼目は、いわゆる業界人ノリの鼻持ちならない傲慢さを批判するものでし

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フジテレビ問題

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